2023年度 東洋史部会発表要旨 |
一、 日中戦争期における上海の石炭消費事情と統制の展開 広島大学 賈超 本報告では、日中戦争期(一九三七〜四五年)における上海の石炭消費事情と統制の展開の様相を明らかにするため、戦争情勢の変遷に伴う石炭の供給・消費状況の変化、及び統制の効果・影響について検討する。戦時下の中国では、戦時経済体制の強化によって、重慶国民政府・「満洲国」・外国租界並びに汪精衛政権のそれぞれにおいて、石炭の生産・流通・価格に対する統制体制が成立した。この統制のあり方は、戦争遂行のための物資掌握と民衆生活の保障に関わる二つの側面に分けて考えることができる。とくに複雑な政治・経済状況下にあった戦時上海の石炭統制については、双方の視点からアプローチすることが重要である。 先行研究には、特定の統制組織の活動や統制措置に関する成果があるものの、戦時上海の石炭消費事情の全体像及び石炭統制の上記二つの側面の相互影響に対する検討は不十分である。本報告は、当時の上海の石炭統制に関する档案資料と新聞報道を活用して所期の目的に迫っていく。
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二、 日中戦争下湖南省における糧食統制と各級民意機関 広島大学 呂程 日中戦争期において、重慶国民政府は関税・統税・塩税が大幅に減少する状況に対応するため、一九四一年に「田賦徴実(土地税の実物徴収)」を実施しはじめ、併せて「徴購(強制買上げ)」、「徴借(強制借上げ)」の糧食統制政策を導入した。こうしたなかで、湖南省は戦時中国の重要な糧食供給地でありながら、同年に米価格の操作疑惑が発生し、後に湖南籍国民参政会参政員と湖南省政府が中央で糾弾しあう事態となった。この事件に焦点を当てた先行研究は管見の限りでは存在せず、戦時中国糧食統制における各級民意機関の役割に注目する研究も少ない。 本報告は、この事件の実態、国民参政会及び湖南省参議会が表出する「民意」と蒋介石の対応を明らかにすることによって、こうした「民意」の特徴と問題点や、戦時政策と「民意」調達の相互関係や、そして蔣介石本人の対応の特徴などを分析する。 |
広島大学 笹川春哉 金初に活躍した粘罕は二代皇帝太宗呉乞買と昵懇の仲であり、特別な権限を有する存在であった。しかし、先行研究では三代皇帝煕宗合剌が即位すると、名誉職へと祭り上げられ、権力を失っていった、と論じられる。本報告では、太宗朝期から粘罕と太宗の関係が悪化していることを明らかにしつつ、粘罕・撻懶の対南宋講和交渉及び政治的党争が大きく関わっていたことを示す。以上を通じて、太宗朝期の金国内の勢力図の変遷を再検討することにより、それぞれの時期に行われた政策と主導者について、議論を深化させる。この時期は金が華北へと勢力を広げ、皇族も各地へ進出し、大楚や斉を建国する時期であるが、その過程の中で粘罕は講和交渉を恣にし、反感を買うようになった。その結果、太宗も粘罕を次第に排斥するようになり、煕宗の時期に粘罕の立てた斉も廃止された。すなわち、粘罕の失脚は、煕宗が継承した太宗の政治的立場の一つの側面であったのである
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四、 闕特勤碑文の建立から見る吐谷渾の存在形態 神戸女子大学 鈴木宏節 八世紀前半、七三二年に建立された闕特勤(キョル・テギン)碑文の奥付とも言える一角には、この碑文を含む埋葬施設の造営の経緯が突厥(ルーン)文字・古代トルコ(テュルク)語で刻まれている。そこには七世紀に唐王朝に降った、かつて青海を中心に勢力を誇った吐谷渾の関与が記されている。そもそも闕特勤の埋葬には唐の玄宗の存在があったことはよく知られており、漢籍にもそうした経緯が記載されている。事実、これまでモンゴリアで発見された埋葬遺跡からは唐王朝に由来する文物が多数出土しており、それらが遊牧民の埋葬文化に寄与していたことが指摘されてきた。それでは、闕特勤碑文に記載された吐谷渾の果たした役割はいかなるものであったのだろうか。 本報告は、唐に支配されつつ八世紀にいたった吐谷渾の存在に焦点をあて、唐の支配下における遊牧民の存在形態を再検討する。また、七世紀から八世紀にかけての吐谷渾と突厥との関係を整理し、中央ユーラシアの遊牧国家として比較検討をおこないたい。 |
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六、植民地期インドネシア外領における米の生産と流通をめぐる基礎的研究 広島大学 植村泰夫 植民地期インドネシアの住民にとって米は最重要食糧であったが、一九世紀以降にオランダによる植民地経済開発が進み、世界市場向け商品作物栽培が拡大する中で、人口の増加とも相俟って、次第に自給が困難となり、大陸部東南アジアからの輸入に頼らざるを得ない状況が形成された。しかし、こうした米の生産・消費、流通の実態については、特にジャワ・マドゥラ以外のいわゆる「外領」地域に関してはあまりよくわかっていない。本報告では、さしあたり『植民地報告』(Koloniaal Verslag、一八四八~一九三〇年)などの刊行史料に依拠して、植民地政庁の米政策と住民の対応、米作の技術・技法の特徴、米を含めた食糧作物の流通のあり方などの点を検討し、米が外領の住民経済に占めた位置を、地方差・地域差を踏まえて考察したい。 |